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▼自己を客観視できて初めてスタート地点に立てる


 

誰しも世界の中心(精神的な意味合いにおいて)は自分になるのでは?
と私は考えるタイプなのですが

どうもこの

世界の中心は自分=自己中心的=悪

みたいな方程式がある気がするんです。

あくまでも私の解釈なので、気に入らん!という人はここで離脱してください。笑

 

世界の中心は自分=自己中心的

これはいいんです。でも

自己中心的=悪

これは違うでしょ。。。

 

自己中が悪になるんだったら、きっと今頃人間滅びてます。笑

逆説的解釈になるかもしれませんが、人は「自己中」だから強くなれるんです。

どんな教えも結局リフレーミング次第で「自己中」って解釈できるんですよね。

 

「人のために」=「回り回って自分のため」

「施す」=「施している自分が幸せ」

情けは人の為ならずって言葉がありますよね。

施せし情は人の為ならず おのがこゝろの慰めと知れ
我れ人にかけし恵は忘れても ひとの恩をば長く忘るな

これ新渡戸稲造(前の5000円札の人!)が書いていたことで

情けは他人のためではなく自分自身のためにかけるものだ。だから自分が他人にした良いことは忘れてもいい。でも、人から良くしてもらったことは絶対に忘れてはいけないよ

って意味なんですよ。素敵ですよね。

 

これも自己中心的な解釈で私は捉えています。

結局は心の置き所をどこにするかが大切で

周りが幸せになった方がもっと自分が幸せになるんですよ。

だから周りを幸せにするんです。

 

前文が長くなりすぎました。笑

さて、自分を客観視できて初めてスタート地点に立つことができる。

というのは先に書いた「心の置き所」をどこにするかの話です。

客観視できるようになると感情のコントロールができるようになります。

今の自分の心がどこに置いてあるかわかるようになるので!

と。これが一般的な客観視することによるメリットです。

ただ、私の中ではもう一つ。。

 

自分が今どの位置に立っているかを知ることができるかどうか。

が私の中での客観視です。

・自分の得意なところはどこだろう。

・自分の不得意なところはどこだろう。

・自分が人に影響を与えやすいところはどこだろう。

・自分が人から影響を受けやすいところはどこなのだろう。

こんな感じで自分の「感覚」や「想い」「スキル」などを分解していくと

自己理解が深まるようになります。

そこで客観視できるようになり、自己理解ができるようになると

面白いもので「謙虚」になれるんです。

 

足りないものを得に行くことができるようになるし

足りないものは他人に埋めてもらえるようになれるんです。

そして足りているものは人に与えたり渡したりすることができるようになり

それが周り巡って自分の更なる成長の糧になるように循環します。

これ、自己中心的じゃないですか?

だって全て自分のためになるから。

自己中心的っていう言葉をわがまま。自分勝手。と捉えてしまうのがNGだと思います。

自己中心的な発信をすることによって人にダメージを与える行為はNGです。

暴力やハラスメントなんてもってのほかです。

その行為は自慰的行為であり、自己中心的な行為ではありません。

それこそ、わがまま、自分勝手な行為になってしまいます。

これでは、素敵な人になることはできません。

 

自分が幸せになるために、人を幸せにするんです。

自分が笑顔になるために、人を笑顔にするんです。

自分が豊かになるために、人を豊かにするんです。

 

これ、私の中では自己中心的な生き方なんです。

自己中心的でいることが一番エネルギーを生み出すことができると思っています。

人生は自分のために生きていた方がずっと楽しい。

あとは、そのアウトプット次第。あなたはなんのためにアウトプットしますか?

 

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